2009年11月10日

マリー・アントワネットの結婚生活

マリー・アントワネットとルイとの夫婦仲は、趣味・気質などの不一致や、ルイの性的不能もあって(後日、その治療を受けるまで子どもは生まれなかった)、思わしくなかったと言われる。彼女はその寂しさや慣れないフランス王室での生活を紛らわすため奢侈に没頭していたという説があり、夜ごと仮面舞踏会で踊り明かしたという。また彼女は大変に移り気かつ享楽的な性格で、読書も嫌いであったという。

母マリア・テレジアは娘の身を案じ、度々手紙を送って諌めたが、効果は無かった(この往復書簡は現存する)。さらに賭博にも狂的に熱中したと言われる。だが賭博に関しては子が生まれるとピッタリと止めている。また、ただの向こう見ずな浪費家でしかないように語られる反面、自らのために城を建築したりもせず、宮廷内で貧困にある者のためのカンパを募ったり、子供らにおもちゃを我慢させるなどもしていた。母親としては良い母親であったようである。

フランス王妃として
1774年、ルイ16世の即位によりフランス王妃となった。王妃になったアントワネットは、朝の接見を簡素化させたり、全王族の食事風景を公開することや、王妃に直接物を渡してはならないなどのベルサイユの習慣や儀式を廃止・緩和させた。しかし、誰が王妃に下着を渡すかでもめたり、廷臣の地位によって便器の形が違ったりすることが一種のステイタスであった宮廷内の人々にとっては、アントワネットが彼らが無駄だと知りながらも今まで大切にしてきた特権を奪う形になってしまい、逆に反感を買ってしまった。

ローザ・ベルタンという新進ファッションデザイナーのドレスを好んで着ており、ローザ・ベルタンのデザインするドレスや髪型、宝石はフランス宮廷だけでなく、スペインやポルトガル、ロシアの上流階級の女性たちにも流行し、アントワネットはヨーロッパのファッションリーダーとなっていった。また、アントワネットはファッションに浪費はしたが、凝ったスタイルのファッションは好まず、簡素なデザインのものを好んだ。プチ・トリアノン宮で田舎娘の格好をするのを好み、この頃ローザ・ベルタンはアントワネットのために袖や長い裳裾を取り払ったスリップドレスをデザインしている。ここではポリニャック伯夫人などの、極端に寵愛したお気に入りの少数の貴族達のみしか出入りできなかった。

こうした中で、マリー・アントワネットとスウェーデン貴族ハンス・アクセル・フォン・フェルセンとの浮き名が、宮廷では専らの噂となった。地味な人物である夫のルイ16世を見下している所もあったという。ただしこれは彼女だけではなく大勢の貴族達の間にもそのような傾向は見られたらしい。一方、彼女は大貴族達を無視し、彼女の寵に加われなかった貴族達は、彼女とその寵臣をこぞって非難した。彼らは宮廷を去ったアデライード王女や宮廷を追われたデュ・バリー夫人の居城にしばしば集まっていた。ヴェルサイユ以外の場所、特にパリではアントワネットへの中傷がひどかったという。多くは流言飛語の類だったが、結果的にこれらの中傷がパリの民衆の憎悪をかき立てることとなった。

1785年には、マリー・アントワネットの名を騙った、ブルボン王朝末期を象徴するスキャンダルである首飾り事件が発生する。このように彼女に関する騒動は絶えなかった。


『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
マリー・アントワネットとルイとの夫婦仲はあまりよくなかったようです。

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